ペギー葉山はウルトラの母=緑のおばさん役!年齢や本名は?

宇宙

今も続くヒーローシリーズ、
ウルトラマンシリーズ。

私が一番記憶に残ったのは
ウルトラマンタロウなんです。

その中でウルトラの母である
緑のおばさん役として出演された
ペギー葉山さんが死去。

年齢本名などのプロフをまとめると共に、
ご冥福をお祈りします。

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ペギー葉山さんのプロフィール

子供の頃にボーっと紅白を見ていて
親がテレビを見るように言うんですよ。

流行の歌じゃないし興味が無かったのですが
次の一言で首がグイっとテレビに向きました。

「ほら、ウルトラの母だよ!」

マジかよ、歌上手いんだな
とか子供心にビックリした思い出があります。

名前:ペギー葉山(はやま)
本名:森繁子(もり しげこ) 旧姓小鷹狩(こたかり
生年月日:1933年12月9日
年齢:83歳
出身:東京都新宿区

青山学院女子高等部(現青山学院高等部)を
卒業後の1952年『ドミノ/火の接吻』で
レコードデビューしました。

1960年の8月にアメリカ・ロサンゼルスを
訪れた時にミュージカル
『サウンド・オブ・ミュージック』を鑑賞。

帰国後に劇中歌「ドレミの歌」を
ペギー葉山さん自身による訳詞で紹介。

これが今も日本で歌われ続ける
ドレミの歌の最初だったのですね!

本当にウルトラの母のイメージしか
私はもってなかったんだなー(*ノノ)

1995年に紫綬褒章、2004年には
旭日小綬章をそれぞれ受章しています。

1965年に俳優の根上淳さんと結婚、
2005年に亡くなるまで在宅介護をなさっており
その経験を元に全国で講演を行うなど
ほんの最近まで精力的に活動されていました。

ペギー葉山さんは紅白にも多数出場

ペギー葉山さんの紅白出場回数は14回です。
歌手としての出場以外にも
赤組の司会としても出演されています。

なんで歌手として出場していないかというと
NHK側の意向だそうで
今よりももっと権勢があった時代ですし
そういうのも仕方が無かったのでしょうね。

今はぶっちゃけ、ジャニーズとAKBに司会やらせて
その分枠空けたら?とすら思いますけど。

割と連続して出場されていて
1968年に出場された以降は
1989年の第40回記念放送まで
出場はしておらず、また
出場自体もそれが最後でした。

私が見たのは1989年のものですね。

割と紅白に対してのマイナスイメージが
無い頃ですし本当にお祭りでしたよね。

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ポンキッキやみんなのうたでの歌声

今年2017年で歌手生活が65年だった
ペギー葉山さん。

みんなのうたでも歌声がきけましたが
私が調べていてびっくりしたのが
『ひらけ!ポンキッキ』(フジテレビ)のしつけコーナー。

「好き嫌いをせずにんじんを食べましょう」
「花火は大人と一緒にしましょう」

このような道徳を優しく教えてくれていた方
これもペギー葉山さんだったんですね。

今更ながら泣けてきました。

ペギー葉山のみんなのうたに関しては
アルバムになっています。

収録曲は

  1. とんとんとん
  2. かあさんの歌
  3. ドレミの歌
  4. アイルランドの子守歌
  5. 調子をそろえてクリック・クリック・クリック
  6. 町の小さな靴屋さん
  7. ひとりぼっちの羊飼い
  8. ウン・パッパ
  9. パンのマーチ
  10. 算数チャチャチャ
  11. ひげなしゴゲジャバル
  12. みどりの星
  13. とんとんとん(カラオケ)

思ったより知っている曲が多かったです。
たぶん皆さんも聞くと思い出すかと。

改めて聞くとなんか、
こう、くるもんがあるんですよね。

ペギー葉山さんといえばウルトラの母

私の中ではこれなんですよね。

色々と持論やデータなどで異論はあるでしょうが
私の中で最強のウルトラ戦士はタロウなんです。

そしてそのタロウの変身アイテムである
ウルトラバッジを渡したのも
ペギー葉山さん扮するウルトラの母の
人間の姿である緑のおばさんなんです。

ちなみに緑のおばさんというのは
小学校の通学路上に立っていて
笛を吹いたり、黄色い旗を持っている
ああいった方々で、特に女性のこと
指す言葉が緑のおばさんです。

緑色の制服や帽子を身に着けており
これが交通安全のカラーだったからで
そこから緑のおばさんと呼ばれていたそうな。

ともかく、そういった子供の頃の
印象の強い役柄をされていた方でした。

もしかしたら、光の国に帰ったのかも
そんな風に考えてしまいました。

深くご冥福をお祈りいたします。

お読みいただきありがとうございました。

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